坪倉優介(記憶喪失)wiki!ゆうすけ工房ってどこ?本やドラマ化について【激レアさん】

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こんばんは、macoです^^

 

8/3【激レアさんを連れてきた。】に草木染作家の坪倉優介さんが登場します!

 

坪倉さんは、交通事故によって記憶を全て無くしたあと、

奇跡の復活を成し遂げた方だそうです∑(゚Д゚)

しかもその人生はドラマにもなっているとか!

 

工房はどこなのか?

坪倉さんの人生が本やドラマになっていという噂も

見つけたので、調べてみました!

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坪倉優介(つぼくらゆうすけ)wiki風プロフィール

大阪芸術大学
大阪芸術大学公式サイト。大阪芸術大学・大学院のご案内。大阪芸術大学は専門的な知識と技術が身に付く総合芸術大学です。

名前:坪倉優介(つぼくら ゆうすけ)

生年月日:1970年12月25日

年齢:48歳

出身:大阪府門真市

学歴:大阪芸術大学工芸学科染織コース卒業

職業:染色家

 

子供の頃から絵を書くことが好きな子供だった坪倉さん。

大学入試の数週間前にデッサンを知り、

周りの受験の空気に圧倒されつつ芸術大学に入学。

 

ふと知ったことに挑むことが好きだったそうで進学を決めたそうですが、

入学後は先生が「この中で美術学校に通っていた人は?」というと、

ほとんど全員が手をあげる中、自分だけあげれないという環境の中、

大変ながらも楽しく学生時代を過ごしていたとのこと( ・∇・)

18歳で交通事故に遭い、記憶喪失に

そんな中、課題を徹夜で仕上げ、次の日に染色実習がありなんとか遅刻せず

スクーターで通学した帰り道に、トラックに追突するという

事故に遭ってしまいます。

 

徹夜明けで眠かったのでしょうね。。。

10日間眠り続け、意識は回復します。

ですが、自分の名前、家族の顔や名前、住所、何もかも記憶がなくなってしまいます。

 

それだけでなく、身の回りのこともわからない、

言葉もわからない、味覚も冷暖感覚もない。

 

いわば赤ちゃんと同じ状態になってしまっていたそうです。

二ヶ月後には自己主張が始まり、

昼夜問わず家出しまくっていたとのこと。

わからないことも聞きまくり、夜眠れない時は夜中になんで人は寝るの?って聞いて、

お母さんが困ったというエピソードも。

 

身体は大人なのに、行動は赤ちゃんが生まれてからのものと同じって、

お母様は相当辛かっただろうなと思います(_ _)

ご自身もきっと、それがどういう状態なのかわかならいという

葛藤がとてもあっただろうなって思うと、想像を絶する状態ですよね。。。

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大学に復学するもキャラが激変、記憶が戻らず葛藤の日々

事故前は、能天気な一方頑固で喧嘩っぱやかったのが、

とても大人しくなったそう。

これは子供が大人に守ってもらうために従う行動に似ていますね(_ _).。o○

 

ついでに髪の毛もツンツンヘアーだったのが落ち着いたそう(笑)

 

復学し、最初は学校に通うのも一苦労で、お金の使い方や種類がわからず、

硬貨は『穴があいたモノ』『穴があいてないモノ』

判別したりで必死に覚えたそう。

 

そのうち、

 

『過去がわからなければ生きている意味がない』

 

と葛藤し復学するも留年します。

ですが、徐々に周りの人にわからないことは聞くようにし、

物事を覚えていき、大学で絵を学ぶうち、

色で記憶を結びつけていろんなことを覚えていたため、

色彩感覚が自分にあることに気付きます。

 

そして、ろうけつ染めの世界に進むことを決心した坪倉さん。

 

専攻科を受験したとのことなので、

大学には2回通っている可能性がありますね!

4時間の就職面接の末、「夢 祐斎亭」へ

染師である奥田祐斎さんの工房「祐斎(ゆうさい)亭」に入ります。

↓師匠の奥田祐斎さん

ランドセルの鞄工房山本 ー はじめての一生もの。
1949年の創業以来、一枚の革選びから始まる数百もの製造工程を奈良の自社工房で職人が一つひとつ手がけています。お子さまの一生ものに相応しいモノを目指して、鞄工房山本はランドセルとしての確かな品質にこだわり抜いています。

 

「練習のための練習はいらん! どのようにしたら人に伝わる着物になるか考えろ!」

という言葉の元で従事し、

現在染色師として坪倉さんは独立

 

『ゆうすけ工房』を立ち上げ活躍されています✨

 

NEXT➡︎ゆうすけ工房ってどんなとこ?本やドラマは?

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