川村怜のwiki経歴!視力0でサッカーってマジ!?全盲になったきっかけや挫折【パラリンピック応援】

おもしろ一般人




こんにちは、macoです^^

 

5/11【パラリンピック応援】に川村怜さんが登場します!

 

川村さんはブラインドサッカーという

スポーツで活躍されている選手です(*´`)

 

2020年の東京パラリンピックの日本代表・主将として

出場されるとの事!

 

サッカーはもともと好きでワールドカップもよく見ていたのですが、

ブラインドサッカーってどうやるんだろう?

川村さんはどんな選手なんだろう?

全盲ってまじ!?

 

と気になったので一緒に見ていきましょう♪

川村怜wiki風プロフ

nippon.com | 日本情報多言語発信サイト
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名前:川村怜(かわむら りょう)

生年月日:1989年2月13日

年齢:30歳(2019.5現在)

出身地:大阪府東大阪市

 

元々全盲ではなく、5歳の時に目の病気であるブドウ膜炎が見つかり、

7歳の時に近くの公園で頭を強く打った事がきっかけで症状が急激に低下して

いってしまったそうです。

 

ですが、活発だった川村少年は小学校1年生でサッカーチームに入り、

休み時間は鬼ごっこやドッチボールなど常に外で走り回っていたそうです^^

苦手なスポーツもあったそうですが、ほとんど不自由に感じていることもなく、ワールドカップフランス大会を見た事をきっかけに、

『将来はサッカー選手になる!』と断言していたそうです。

 

最初は弱視だったそうで、目は見えていたんですね(・・)

見えづらいなんて事気にしない活発な少年だった事がわかります^^

 

中学に進学してサッカー部に入るのかと思いきや、

強豪校過ぎて今の自分には出来ないと断念し、

陸上部に入ったそうです。

心のどこかでサッカーがしたいという気持ちが消えず、

大学ではフットサル部に所属。

そんな時、その大学にブラインドサッカー部があるという噂をききつけ、

そこでアイマスクをした選手がドリブルをしている姿を見て、

『やりたい!』と思ったが即答は出来ず、少しづつ仲間に入れてもらいながら、憧れの田村友一さんに影響を受けながら入部したといいます。

突然の離脱

そんなキラキラした思いで入部したものの、一度前線から離れしまったという川村さん。

それは、恐怖心からだったそうです。

「ブラインドサッカーはアイマスクを着けてプレーをするため視界がゼロの状態になります。なので、中途半端な気持ちでプレーすると怪我をする確率もグンと増えるんです。そんな気持ちでプレーして怪我をしたら絶対に後悔する。そう思ったんです。やるからには、覚悟を決めて本気で取り組みたかった。でも、その覚悟を保てなくなった時期があって・・・一度ブラインドサッカーから離れようと思ったんです。」

https://www.sports-tokyo.info

この頃には大分視力の低下も進んでいて、

2013年にはついに全盲の診断をうけたそうです。

そこから違う角度でブラインドサッカーと関わり続けたそうで、

ある日、もう一度コートに立とうとなったきっかけの出来事があったそうです。

憧れの選手が世界に通用しない

2009年に日本で開催されたアジア選手権で憧れの田村さんがコートにたたれていたそうですが、全く通用していない姿を見て、衝撃を受けたそうです。

「練習や試合を観戦する中で、自分ならこういうプレーができるな。こういう動きをするな。など、自分のプレースタイルを想像出来るようになったんです。」

自分ならこうしたい、こう出来るかなという考えをきっかけに、

自分の中にくすぶっていたサッカーへの情熱が戻り、

自分も世界に立ちたい!と復帰を決意されたそうです(*´`)

 

そこから2020年の東京パラリンピックの日本代表、そして主将になるまでに

上り詰めたという事だったですね^^

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

一度は恐怖心からコートから去ってしまった川村選手。

サッカーへの思いや、自分のプレーを通して元気を伝えたいという思いもあるそうで、復帰を決めたのはすごい勇気がいる事だったと思います。

パラリンピック応援では、そんな前にひたすら走り続けている川村選手の

姿が見られると思うので、楽しみにしていようと思います(*´`)

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました♪

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