荒木誠也(こころ)のヤンキー時代は喧嘩ざんまいだった?
荒木さんの地元・大阪府岸和田市には「ケンカ甲子園」なるものが存在していたそうです(_ _).。o○
スポーツマンシップにのっとり、中学対抗のケンカ大会を行っているという岸和田。まずは根性試しで代表を決め、そこで選出された者が、他の中学の不良と戦う「ケンカ甲子園」に出場し、タイマン式か戦争式か、自分たちで試合方法を選んで戦っていくという(ちなみにタイマン式では武器の使用はNG)。ケンカが始まる合図は、真ん中にいるケンカに参加しない者が投げたライターが地面に落ちたら。https://abematimes.com
こんな文化があるんですね((((;゚Д゚)))))))
さながらクローズの世界みたいです。。。
中学生の頃に荒木さんは現在の相方である山出谷怜門さんとともにこの喧嘩祭りに参加していたようで、
中学のころはホームページが流行っていた。僕らのチームも作っていたし、違う中学のチームも作っていた。ケンカをするときには、相手のホームページにとんで足跡をつけて、向こうからも相手の写真を見て『顔、きもいな』『お前、ケンカ弱そうやな』とかコメントしてケンカを売る。ホームページでケンカの約束をする。それでイオンとかに集まるんですけど、放課後はいろいろな学生が集まるので、その相手が誰だか分からない。なので、またホームページに戻ってコメントでやりとりして、待ち合わせしてケンカしていました」
どのくらい強かったのかはわかりませんでしたが、
毎日こんな様子で喧嘩ばっかしていたそうです( ̄  ̄)
ちなみになんでそんな喧嘩ばっかしていたかというと、
『すべて、卒業式で刺しゅうの入った学ランを着るため』
と、先輩に認められないとその刺繍が入った学ランを譲ってもらえない制度だったらしく、
それが欲しいがために毎日喧嘩ざんまいしていたとのこと。
男の子ってかっこいいことにタイマンをはるのは、
いつの時代になっても変わらないんですね(・∀・)
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荒木誠也(こころ)まとめ
荒木さんは芸人をしながら、整体師さんをされています(・∀・)
お店は東京の渋谷にある『SHIBUYA整骨院』で働いていることがわかりました!
ヤンキー時代は、地元で「ケンカ甲子園」という、喧嘩で強いのは誰かを決める勝負事を日々していたとのこと。
喧嘩をする理由は、『すべて、卒業式で刺しゅうの入った学ランを着るため』と先輩から学ランを譲ってもらうためだったそう(・∀・)
もはやクローズの世界ですね(笑)
そんな荒木さんですが、お笑いの世界では
どんなヤンキー伝説を語ってくれるのでしょうか(_ _).。o○
放送を楽しみにしていようと思います^^
最後までお付き合い有難うございました♪